一筆箋舊帙    一筆箋/御歸り/御問合

平成二十年二月十六日第三千一号
平成二十年三月二十八日第三千三十号

霎に満開の桜花 投稿者:元夏迪  投稿日: 3月28日(金)18時43分1秒

一年の風雪に耐えて漸く花を付けた雪柳を毟って持ち帰ろうとする
心得違いの風流人が憎い。

ところ構わず煙草を飲む手合いが憎い。禁煙の札がないからとばか
りに震える手でライターをカチカチやる連中は何だ。火を点けて飲
まず、徒に煙を棚引かせる輩を見ると、その煙を全部食えと言いた
くなる。

己にも木の芽時が訪れたか。年中木の芽時の連中が周囲に徘徊して
いるのか。


桜咲く 投稿者:元夏迪  投稿日: 3月27日(木)21時37分14秒

昨二十六日水曜は、サイム翻訳班の会合。日課の散策は取りやめ、
最寄り駅まで往復一時間歩くことに。今日、いつもの道をほっつき
歩いたら、方々で桜が咲いている。たった一日目を離した隙に、上
水沿いの景色は随分と明るくなっていた。


木[こ]の芽時 投稿者:元夏迪  投稿日: 3月25日(火)20時15分5秒

線路の脇には綻びかけた桜の木もチラチラと見えるようになり、セ
ルの提灯を吊って風情をぶちこわしにする趣向なども春めき、野に
里に、味わい深い時節を迎えると、陽気に誘われて風変わりな人が
目に付くようになる。

めかしこんだ親子が街道に溢れているのは、小学校の卒業式だ。都
心で奇声を上げる背広や女袴は大学を畢えたのか。行儀がよいのは
どちらかしら。

帰宅電車。ボール紙で作った十糎四方の額縁に「クリーミーマミ」
(?)なるロゴ入りの幼女画を収め、フィルムでこれをくるんだも
のを掻き抱きながらムームーいう背広の青年。フィルムに接吻しな
がら、時折喃語に人語が交じる。隣に座して手帳大に綴り込んだ箚
記を眺めているこちらにも、時々額縁を見せるようにかざしてくれ
る。

谷底にある駅の公衆電話で通話をしていると、雑踏の中から耳に届
く声。五十台後半の男が二つ向こうの電話機で送話中なのである。
呶鳴っている訳でもないのに熱鬧を貫いてくる声に耳を傾けると、
オレは電光表示板を見たし、雲の形だって見た、雲の形にオレを納
得しなかったし、雲の形もオレを納得させようとしなかった、と幾
たびも繰り返す。気になって度数表示を見ると、九十五、九十四と
ゆっくり度数は減っている。誰か(何か)に送話していることは間
違いない。

谷底の駅から伸びる道を辿りながら、なだらかな丘を半里も上ると、
頂に出る。承応の昔に鑿かれた上水が東西に延びている。夜の香を
嗅ぎながら、雲の形が納得させようとする趣は何だったのかと考え
る。


昨日 投稿者:愚妻  投稿日: 3月24日(月)13時10分20秒

うんうんいって頑張って論文書いてみたけど、
一晩寝て起きて頭から読み返してみたら、
昨日書いた事はもう既に全部書いてあって、
ただ同じ事をもう一度繰り返しているだけだった。
ううううショック。


ゲッソリ 投稿者:元夏迪  投稿日: 3月23日(日)20時13分1秒

翻訳を殆ど読まないのには理由がある。読んでも判らないし、間違っ
て無理に判ろうなどと企めば、異様な労力を費やさねばならぬから
である。例えば、是非巧拙に就いてはさて措くとして、

政治思想史研究者は、伝統を、その言語の側面でとらえようとして、
行為に関心を払わない。だが政治思想史家は、その傾向を見失いは
しない。というのは「ある原理が様々な表現をとって表れた時、そ
れらの表現によって、その行為の全体のかたちが意味をもってくる
のである」


という一文がある。これを齟齬なく理会するためには、

イ)「政治思想史研究者」と「政治思想史家」とは似て非なる人々
  であり、各々その職能を異にする
ロ)誤訳がある

の二つの可能性を考慮せねばならない。右に引いた一文に至るまで、
イ)を仄めかす件は全くない(業界の常識に凭れている為のかも知
れないが)。

一方でロ)の可能性は高い。欧語から国語に移す時に問題となりが
ちな構文が訳文から透けて見える。その構文を元に、勝手に訳し変
えるとこうなる。

政治思想史研究者が伝統を取り巻く行為の体系に関心を寄せるのは、
伝統を表現する言語体系の方に興味があるからなのではなく、伝統
そのものが持つ傾向、伝統を活用する手法の癖というものを見失う
まいとするからに他ならない。


原文がないので、意訳のしようもないから、どうしてもくどくなっ
てしまうが、元の訳文がnot...but...を訳し損ね、notが主動詞から不
定詞までの全体を否定していることを読み落とし、主動詞のみを否
定するものと解しているのが判る。

原文の趣意を把握していれば生じようのない過誤が、ほぼ全ての文
に生じているから、五分で読むのがイヤになるが、それも決して異
常な事態ではない我が国の翻訳事情を思う時、暗澹たる気持ちに襲
われる。

同じ文章で「ある社会では」を「所与の社会」と訳すが如きは、可
愛らしい方だと言わねばなるまい。


扉教授と呑む 投稿者:元夏迪  投稿日: 3月23日(日)14時30分12秒

オーストリア人と夕餉を共にする機会があって、雲丹だの海鼠だの
説明に窮し、手許の独語辞典に頼って訳語を探す。Seeigel, Seekurge
と言うのだそうだ。「海の針鼠」「海の胡瓜」の意である。どちら
も英語と全く同じで驚いた。既にどちらも口に放り込んでいたその
墺人学者は、食材の正体に喫驚しつつも、最初は「意表を突く味」
「興味深い味」と言っておっかなびっくり突いていた雲丹、海鼠を、
終いには「でも何だかうまいですぞ、これ」と平らげてしまったの
に、こちらはもっと驚いた。気持ちの良い老紳士だった。


惹句 投稿者:元夏迪  投稿日: 3月23日(日)10時19分11秒

This notebook uses the best quality paper.

先日大学ノートの表紙に見付けた惹句。勉強の成果が伺われる。


モウゼス・イズレイル・フィンケルスタイン 投稿者:元夏迪  投稿日: 3月20日(木)00時56分0秒

何の気なしに「モウゼス・フィンリー」と転写したのは、連合王国
で彼の弟子筋がそう発音するのを聞きつけていたからだが(正確に
は「メウゼス・フィンリ」)、気になって学習用の字引を見たら、
あの猶太の有名人の名前は「モウゼズ」の如く、最後を濁音で発音
せよと指示してある。『リーダーズ』を引くと、こちらは「モウゼ
ス」の別音を表記してあった。こんな所に思わぬ差が出るものらし
い。


M. I. Finleyの不人気 投稿者:元夏迪  投稿日: 3月19日(水)19時04分26秒

モウゼス・フィンリーの書物はもっと訳されていい。江湖の読者の
みならず、歴史学に携わる人々にもよい読み物の筈なのに、岩波文
庫の『オデュッセウスの世界』と講談社学術文庫に収められた『
主主義 古代と現代
』しかないというのは、如何にも淋しい。尤も、
あの英語を解釈するのは骨だし、単なる英文和訳に終始せぬ、きち
んとした翻訳(国文)を作り上げるのは、生中なことではあるまい。


棲息吐息 投稿者:元夏迪  投稿日: 3月16日(日)11時46分14秒

網上「棲息吐息」なる熟語に遭遇。「青息吐息」とあるべき文脈な
のに、と思いつつ検索してみると、セイソクトイキと読み、発音し
ている人が少なからず存在するが故の誤記と知る。「青色吐息」な
る変種もあるそうだ。


ZPE他 投稿者:元夏迪  投稿日: 3月15日(土)22時21分25秒

・千九百八十八年以降のZPE所載論文を入手できる網站
・主題毎に文献表を蒐した網站
・罕見詩語を蒐集する網站


Papyrology at Oxford 投稿者:元夏迪  投稿日: 3月15日(土)22時08分40秒

心覚えに鏈接


『支那文を読む為の漢字典』 投稿者:元夏迪  投稿日: 3月15日(土)15時52分54秒

昨金曜夕方、沛雨の中、久しぶりに本郷琳琅閣書店を覗く。特価本
の籠に『支那文を読む為の漢字典』なる小型字典を見付けた。葉を
捲ってみると、痒い所に手の届く簡潔な語釈に、ただならぬものを
感じ、「今更また漢語辞典なんか買い足してみた所で」と想いなが
ら、五百円で引き取ってくる。これも何かの縁だろう。


無題 投稿者:元夏迪  投稿日: 3月13日(木)00時54分16秒

救世軍とはまた。しかし如何にもという観もありますなあ。「毛主
席の下さったマンゴー」とか、そっちの方はどうですか。

今日は色々と仕事をしたよ。雑用もした。自動車のタイヤに空気を
入れて来た。左後ろだけ空気圧が落ちていたから、三ヶ月くらい前
だったか、その辺のスタンドのオッサンが嬉しそうに言った「パン
クだよ御主人、パンク」が、俄に現実味を帯びてきた。

二年分の確定申告を発送したりもした。作業中、劇場版『銀河鉄道
九九九』『さようなら銀河鉄道九九九』を連続して再生した。音だ
け聞けば脳裏に映像が甦るので、鑑賞するにはこれで十分だ。この
歳になって聴くと、何だか気の毒な話で、小市民的パースペクティ
ヴを取る限り救いがないような気もして、夢のある救いのない話に
罩られた強いメッセージという絶対的矛盾に、名作の条件を看破し
て凹んだ。

針鼠君が「東京節」でパイのパイのパイを発見して、救世軍のみわ
ざの恩恵に浴する日を待っている。せめて。

でも、何故救世軍なのですか。鍋かな。


salvation 投稿者:針鼠  投稿日: 3月12日(水)01時03分15秒

先日東京に出た折に神保町の救世軍に立ち寄った。「東京節」(「ドリフの
パイのパイのパイ」)の原曲、救世軍のジョージア・マーチのCDを探していて、
あるとすればここしかないだろうと思ったからである。本館の前にある
楽譜販売の出店をのぞいてみたところ、軍服を着たおばちゃんが丁寧に対応
してくれ、ここにはCDはないが、本営にならあるかもしれないと言う。
わざわざ担当部局に連絡までしてくれたので帰るわけにもいかなくなり、
初めてあの建物の中に入った。エレベーターの中には救世軍のモットー
「血と火」を記した旗のマークが飾られていた。対応してくれたのは
楽団の指導者に当たる人で、大変な紳士であった。いわく、全国の支部に
送るための軍歌集のテープはあるのだが、数巻組であり、そのなかに
入っているかどうかもすぐには分からないとのことであった。結局その日は
それで辞したのだが、僕は救世軍のことがこれまでよりももっと好きになった。


『学術の動向』 投稿者:元夏迪  投稿日: 3月10日(月)11時50分27秒

日本学術会議関連の雑誌『学術の動向』に掲載された特集記事が網
上で見られるようです。この雑誌の存在は初めて知りましたが、判
りやすい言葉で様々な話題を綴っているのは結構なことだと思いま
す。自前のサーバを持っていないのには、少し吃驚。尤も、学術会
議と関連はあっても、全くの別組織だから、当たり前でしょうか。


小賢しい 投稿者:元夏迪  投稿日: 3月 9日(日)00時30分41秒

「『創られた伝統』だから」と言って、何かを論じた気になる作物
にはウンザリである。


 投稿者:元夏迪  投稿日: 3月 7日(金)01時23分44秒

グーグルで「西洋古典学研究」という鍵語を使い、検索すると、右
側の「スポンサーリンク」にアマゾン日本が表示される。クリック
すると、店舗内で「西洋古典学研究」を検索してくれる。アマゾン
の検索鍵語を見る。「西洋古典学研究 −アダルト」となっている。

「−」を消して再び検索を試みる。何も尋ね当たらない。


墳丘 投稿者:元夏迪  投稿日: 3月 2日(日)18時54分1秒

名高い墳丘の実態を写真で見ると、色々切ない想いが込み上げてく
る。


ウォッチャー 投稿者:元夏迪  投稿日: 2月29日(金)00時25分0秒

昔から「ウォッチャー」に違和感を懐いている。すると今日、こん
な文章に再会した。

‘When I began my doctoral research...there was a cant Pentagon-
inspired phrase, “China-watchers”, for American political analysts
who specialised in Chinese affairs’ (P. Cartledge, Spartan Reflections,
3)


こういう感性は日本の輿論や業界筋に欠けているような気がする。
例によって葭の随から天井を覗く類の妄言である。


「士官」 投稿者:元夏迪  投稿日: 2月27日(水)21時21分50秒

護衛艦の一件で「当直士官」という言葉が報道されるのを見聞きし
て、不思議な気がする。「士官」という呼称は戦後法律用語ではな
くなったが、海上自衛隊では海軍の用語を慣用としてそのまま隊内
で使用している(「士官」の正式な呼称は「幹部自衛官」)。その
「隠語」が何の説明もなく世の中に出て来る。聞く方も、ひょっと
するとほとんど違和感を懐くことなく受け取っているのではないか。


世相 投稿者:元夏迪  投稿日: 2月27日(水)19時52分41秒

「自分の年収が低すぎると思う人!」という惹句で転職に誘う広告
を見て、物は言い様だと感心する。一歩間違えると(というか、大
半の場合)、「自分の能力を高く評価しすぎている人」呼ばわりし
ていることになる。これが惹句になり得るのも世相のなせる業であ
ろうか。


勿論 投稿者:元夏迪  投稿日: 2月26日(火)13時37分40秒

下記で送った試験メイル本体も届かない。不佞にも届かないし、誰
にも届かない。何かの手違いで剣橋ドメインのアカウントが電算機
センターの通告よりも一月以上早く失効したために、アドレスの変
更を通知しそびれた交信相手もいるのではないかと懼れている。

黌内で暮らしていた時に使っていた内線電話にも、時々留守番電話
が入るらしい。留守番電話のメッセージを記録しましたという通知
が、内線電話管理サーバからポツリポツリと届いていた(剣橋アド
レスが完全に失効してからは、その通知も宙に舞っていることだろ
う)。ほとんどがセールスか間違い電話だと思うが、やはり気にな
る。


@cam.ac.uk 投稿者:元夏迪  投稿日: 2月24日(日)22時15分36秒

思うところがあって、剣橋で使っていたメイルアドレスに送信して
みる。不達の通知が来ない。やっぱり。メイルアドレスの使い回し
はないので(従って、剣橋の構成員に復帰すれば、そのアドレスも
復活する)、他人様に届くことはないのだが、送信者に不達通知が
届かないのは面倒だ。


モンキーマジック 投稿者:元夏迪  投稿日: 2月24日(日)21時42分59秒

昨日の春一番はクレーン車を押し倒す狂風で、風も濁っているよう
な塩梅であったが、今日の強風は沙粒を多く運んでいながら、風そ
のものは明澄で、光線を揺らして辺りを眩しく見せていた。

風に吹き寄せられて来たのだろうか。最初に一の概念を獲得した人
(猴)という観念(妄想)が脳に湧き起こってきて、その人(猴)
に痛く感心した。一の概念が数の概念に開け、数の概念はその後数
千年に亘って、次から次へと新しい相貌を開陳し続けている。その
人(猴)はよもやそのようなことになるとは夢にも思わなかったこ
とであろう。

しかし、この数の世界とは何か。数理という位だから、数に理があ
り、それが体系に比すべきものを備えているのは判るにしても、こ
の理は、誰がどの思考水準で設定したものなのか(「発見したもの
なのか」と言ってもよいし、「記述しているものなのか」と表現し
てもよい)。

「夢の中でも三角形は三角形だ」とか、「寤寐の別なく一足す一は
二である」ということを根拠に、認識と実在との間に橋を架けよう
とした人もいたような気がするが(こんなに単純な話ではなかった
ような気もするが)、その三角形や、演算、数といったものの位置
づけに就いては、細かく書き遺していなかったように記憶している。

数学に明るい人にそんな話をすると、数の概念が現実の世界に対応
する例を沢山挙げてくれる。少なくとも、昔訪ねた時には挙げてく
れた。数とは認識論的な問題ではない、妄想ではないということを
力説しているのであろう。数の概念を理解する時に、これと逆の手
順を踏んでいるのだから、対応して当たり前なのである。それが疑
問に対して、何の答えにもなっていないこともまた、当たり前なの
である。

人語で御教示願える方の厳教に俟ちたい。

#数学(の教科)書の言語は人語ではない。


公孫樹の解体 投稿者:元夏迪  投稿日: 2月23日(土)00時27分41秒

今日、某所で雑用をしていたら、公孫樹の喬木が二本、チェインソー
で解体されていた。上から段々に切り落とされて不揃いの丸太にさ
れる様は、伐採ではなく、解体であった。

十八で大学に上がってから見続けた樹々だった。チェインソーは終
日喧しかったが、その騒音はさしたる問題ではなかった。

帰り際に切り株を見ると、大分虚[うろ]が入っていた。安全のた
めに解体したのであろうか。その先にも何本か公孫樹の若木が植え
込まれていた。


雅言 投稿者:元夏迪  投稿日: 2月21日(木)12時45分18秒

献饌、供犠の類(希語でhierá)は「胙」、神域、境内の如き(希語
hierón)は「神籬」と訳出すれば良いことに想到する。何れもヒ
モロギだ。

「暫くゆっくりしていて下さい」という言葉も床しく聞いた。リラッ
クスして横たわっていて下さいの意である。


犬の糞は持ち帰れ 投稿者:元夏迪  投稿日: 2月20日(水)21時23分12秒

靴の底に枯葉の束が貼り付いている。接地した時に取れるでもなし、
それどころか土踏まずに圧迫感すら覚える。枯葉の束でこんな瘤を
踏んだような感触はまずない。立ち止まって底を見る。慥に枯葉の
束が貼り付いている。落ちる気配もない。手で褫がす。粘度の高い
土が手に着く。嫌な予感がする。犬の糞だった。少時には「マチエー
ル・ジョワイヨーズ」の高みにあった犬の糞も、中年男には激怒の
引き金に過ぎなかった。犬の糞は持ち帰れ。


日常の藪の中へ 投稿者:元夏迪  投稿日: 2月17日(日)01時41分16秒

仔細あって、畫譜に投稿するのを日次としている。日次とするから
には、銀塩写真機を用いる訳にはいかない。デジタル写真機に携え
る事になる。

携行に便利な機械は全体に鈍重で、意に染まぬところばかりだ。こ
れを使いこなすためには、日次の撮影もよい訓練であろうか。

焦点距離がズームの両端にほぼ限られているのは、調整機構の反応
が鈍く、或いは使うこちらが鈍く、中途の距離に合わせたくとも、
思ったところでズームを止められないからである。首尾よく止めら
れても、ファインダーを覗けば、思った画角とは似ても似つかぬ範
囲が映っている。撮影の基本に立ち返り、歩いて近づき、歩いて遠
ざかる外はない。

オートフォウカス機構も遅く、甘い。これはオートフォウカス一般
に常々懐いている不満でもあるから、携行するデジタルカメラばか
りを責めるのは酷というものかも知れない。しかし合焦点を示す位
の配慮はあってよい筈だ。

勿論露光時間と絞りはお仕着せである。三分の一刻みの露光補正が
前後二段階に効くのが、せめてもの救いである。

毎日撮影するということは、見慣れた日常を切り取る事になる。日
常がごく身近で簡潔しがちな性分なので、極々狭い世界を写し取ら
ねばならない。半ば拷問のような訓練である。

だが、目は肥える。よい被写体を探す目も肥えるだろうが、よい被
写体を探す色気が萎え(元々「絵造り」にはあまり興味がないにし
ても)、写真機を媒介として日常と接する心持ちが変わり、周囲を
読みとる目が繊細になってくる。

思わぬ効能に、日次撮影を課して呉れた御仁と、意に染まぬ撮影機
材、己の生きる狭い世界に感謝せねばなるまいかと苦笑いをしつつ、
今日も上着の隠しに写真機を忍ばせる。


訂正 投稿者:元夏迪  投稿日: 2月16日(土)21時45分50秒

イノダコーヒは移転した大丸の中だった……。


一筆箋/御歸り/御問合

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